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 ■200610_04_akapen
 事務局   2006/10/20-12:31  No.[229]
    開く手へ赤子這ひ来る夏座敷

千葉ちちろ   2006/10/20-17:01  No.[230]
 
    可愛いお孫さんのことを詠まれたのでしょうか?情景が目に浮かびます。ただ少し気になるのは「赤子」という表現です。「赤子」は「赤ん坊」とか「赤ちゃん」ともいいますが、ちなみに人間の赤ちゃんを細かく分けて呼ぶ場合は、生まれて間もない子どもを「嬰児」、4ヶ月くらいまでを「新生児」、一年目くらいまでを「乳児」、3才くらいまでを「幼児」と言うそうです。それはさておき、「赤子」という言い方は何か一つの物体の状態を指して表現しているようで味気ない感じがします。それと「赤子」というと私のイメージではまだハイハイができる前の赤ちゃんのような気がしてなりません。「わが子」とか「わが孫」とか「孫が」といえば情が感じられるような気がするのですが皆さんいかがでしょうか?
 

伊藤無迅   2006/10/22-07:28  No.[231]
 
    ちちろさん、赤子の分析有難うございました。日本語は同じ赤子でも成長に合わせて使い分けている訳ですね。さて掲題句ですが、玉のような赤子の生命力(「這い来る」)と開け放たれた「夏座敷」、外には瑞々しい青葉で「夏座敷」がよく効いた、それなりに完成された句と思います。さて、ちろろさんの推敲「わが孫」「孫が」ですが、そうしてしまうと所謂、「孫俳句」に一変してしまいます。一般に「孫俳句」はどちらかとと言えば、俳句の世界では敬遠されがちな世界です(理由はいろいろあります)。原句はそういう意味で、すこし「孫俳句」に近い危ういところにありますので、敢えて「孫俳句」に落とす必要は無いと思いますが如何でしょうか・・・
 

千葉ちちろ   2006/10/22-09:20  No.[232]
 
    無迅さん、おはようございます。またまた「孫俳句」なるはじめて聞く言葉を教えていただきました。なるほど、言われてみればなんとなく意味がわかるような気がします。それにしても無迅さんは色んなことをよく知っていますね。私も俳句の入門篇のような本は読んだりしますが、今まで無迅さんに教えていただいたいくつかのことはどこにも出ていません。あくまで入門篇だからだと思いますが、そのような本とか歳時記の中にもそういう基本とか法則なども入れて説明してくれればいいのにな〜と思います。「わが孫」「孫が」は撤回いたします。今度機会があったら一度無迅さんに俳句の創り方について講義を受けたいものです。その節は是非よろしくお願いいたします。
 

伊藤無迅   2006/10/23-12:02  No.[233]
 
    ちちろさん、とんでもないです。
皆さんより少し句会に出る回数が多いだけのことです。(多いときは、句会に4〜5回/月出ました)ゴルフと一緒で「月一ゴルフ」よりも多少、場数を踏んだかかな〜・・ただそれだけのことです。どなたでも、数年間、句会に通えば自然に覚えることです。・・・・むしろ理屈っぽくなった分、感性から逃げているかなと反省しています。やはり常に感性に磨きをかけ、豊かな発想で、句作する姿勢が俳句には一番大事と思います。
 

海紅   2006/10/27-16:38  No.[240]
 
     この句は完成しているね。作者はかなり句を作り続けている人ではなかろうか。こんな描写を重ねていけば、時折佳句に恵まれるというもの。でも、ボクならば「夏座敷」を再考するかな。中七までと座五をもう少し離して、その行間を味わいたいと思う。それと「開く手に」がいいかな。御批判ください。
  開く手に赤子這ひ来る庭清水
  開く手に赤子這ひ来る河鹿笛
 

千葉ちちろ   2006/10/28-09:00  No.[242]
 
    先生、おはようございます。
助詞の「へ」を「に」にすることには賛成です。音がはっきりしますね。「夏座敷」については私にとってはわかりやすくていいのですが、赤子が這って来るのは当然、畳の上か、床の上とあきらかにわかることだから少し離してその行間をどう味わうかということでしょうか?無迅さんがおっしゃっていた「ゴム草履」「砂」「残暑」の付けすぎの一種なのでしょうか?
 

堀口希望   2006/10/28-13:02  No.[244]
 
    先生の「中七までと座五をもう少し離して、その行間を味わいたい」というご意見、賛成です。
ところで、「開く手に這ひ来る赤子河鹿笛」としたらいかがでしょうか。中七での切れがはっきりするのではないかと思う反面、古い感じになるかなとも思うし…よくわかりません。お教えください。
 

根本文子   2006/10/31-11:52  No.[247]
 
    障子も襖もとりはらい、広々とした夏座敷、庭の緑とも一体となり気持ちがよいですね。そんな座敷で赤ちゃんと過ごす至福のひととき。そのような情景のよく見える句として完成されていると思います。ですが赤ペンの趣旨に添って個人的な感想を申し上げるなら、もう一歩踏み込んでその時に見えたもの、感じた事があれば尚よかったのではないでしょうか。私がこのような時を思いかえすと、なんといっても赤ちゃんの、あの生き生きした瞳です。這い這いの赤ちゃんは特に目を大きくひらき、生きるエネルギーをいっぱいに湛えて、目的に向かいますね。この場面は作者の開く手に来るので、次のように考えて見ましたがどうでしょうか?
   開く手に瞳より這い来る夏座敷

 

伊藤無迅   2006/10/31-22:45  No.[248]
 
    ちちろさん、先生の「ボクならば「夏座敷」を再考するかな。中七までと座五をもう少し離して、その行間を味わいたいと思う。」は、ちちろさんご指摘の範疇と考えて良いと思います。季語を上5中7に如何に付けるかですね。「這い来る」で切れが入り、所謂二句一章となっているわけです。景が夏座敷から一転して野外になるそれだけ視野がぐーっと広がりますね。根本さんのは「瞳」を入れることで、逆に焦点を絞る効果(視野が瞳に集中)がでてきます。どちらも原句がある程度完成しているので、さらにもう一歩進めようという試みです。根本さんの句は「瞳より」で子育ての実感が込められた句になっていると思います。
 

千葉ちちろ   2006/11/01-06:46  No.[249]
 
    無迅さん、先生の代わりにお答えいただきありがとうございます。無迅さんのご説明はいつもわかりやすくてとても勉強になります。ところで希望さんの中七「這ひ来る赤子」の場合はどうでしょうか?これも切れがいいような気がしますが・・。
 

伊藤無迅   2006/11/01-19:52  No.[252]
 
    そうですね、一般には動詞で止めると下の名詞にかかるので、「這ひ来る赤子」としたほうがより切れると思います。
 

千葉ちちろ   2006/11/01-21:38  No.[253]
 
    無迅さん、またもやご回答ありがとうございます。
なんか質問ばかりしてそれなりに勉強はさせてもらってはおりますが、わたしもそのうちに上手い句が詠めるようになるのでしょうか。自信がありません。トホホ。
 



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