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 ■200702_01_akapen
 事務局   2007/02/14-16:46  No.[512]
    茶席待つ帯粛々と冬日向

三木喜美   2007/02/15-17:28  No.[533]
 
    出さなければよかったと反省しつつ、添削をしていただきたくつい出してしまう我に愚かしさを感じています。この句に何のコメントも入れられないのはあまりに下手であるということだと思います。これは12月に鎌倉のあるお寺でお茶会があるらしく、和服姿の列の後姿だけが見え、帯がそれほど派手でもなくでも何か美しくて風情を感じたので句にしました。最近少し疑問を感じていることの一つに俳句はだれもが共通の感慨を持っていなければいけないのだろうか・・・と言うことが少し気に掛かっています。本人だけが解っていても他の人がその状況を理解してない場合とか、前書きが必要な句などは、あまり良い句とは言えないのでしょうか?どなたかに教えをいただきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
 

椎名美知子   2007/02/15-21:06  No.[535]
 
     三木さん 
 がっかりなさるのが早すぎる〜〜〜。昨日の今日ですので、読んで文章にしようと思っても、もう少し考えて・・・と思っていらっしゃる方も。私の場合、人の詠まれた句に感想を書くって本当に難しい!と思っている昨今で、出来れば読ませていただきたいほうです。
 でも少しだけ。この句からお茶席を待つ緊張感が伝わってきます。帯のキュッと締める音が聞こえてきそうです。「粛々」は政治家が使うので、ちょっと軽い感じがするけど、本当は静かな緊張した様子を表すのにいい言葉なんですよね。でもやっぱり変えてみたい。
 三木さんの着眼、とてもすてきです。そこで私もちょっと。
   茶席待つ人帯きりりと冬日和 
皆さんのご意見聞きたいですね。三木さんご自身の意見も出されてみては? 

とても
 

堀口希望   2007/02/16-00:09  No.[542]
 
    ここ数日、「論文を読む会」の予習に追われ、書き込みが遅くなりました。
三木さんの自注によりますと、茶会に向かう列の後ろ姿を詠まれたようですが、私は茶室に入る前の寄付(よりつき。待合)の景かなと思っていました。なかなかいい句と思いました。ただちょっと気になるのは上五の「茶席待つ」です。このような言い方があるのかどうか。
あえて添削させていただくなら
   座入り待つ帯粛々と冬日向
としますね。「座入り」(あるいは「席入り」)はお茶用語で「茶室に入ること」ですよね。

 

三木喜美   2007/02/16-09:37  No.[544]
 
    椎名さん、希望さん、早速のコメントありがとうございました。これは希望さんがおっしゃるとうり座入りを待っている所の景で、庭の隙間から垣間見たものです。三人のご婦人の後ろ姿しか見えず、普通なら通り過ごすのですが、カメラを持っていたので美しい姿を撮りたいと思い頑張っていたのですが結局前姿は撮れずその代わり句が浮かび出来た次第です。俳句をやり始めてからこの様な事、つまり視線を向けることが出来る様になりました。お二人の添削参考にしたいと思います。ありがとうございました。
 

椎名美知子   2007/02/16-10:18  No.[545]
 
     やはり三木さんの出されたように、「粛々と」がいいのかなあとも思っています。
 おっしゃるように、俳句を始めて、観察力が出てきて575にあてはめている自分を発見しますね。いいもの発見!!これからも楽しみにしています。
 

三木喜美   2007/02/16-11:56  No.[548]
 
    追加です。椎名さんが着眼がすてきと言って下さりとても嬉しいのですが、作句をする場合、たまたまその場にいてその人しか感じないつまり主観のみで句を作るとどうしても他の人には理解できない句となる可能性がありますよね。この私の句にしても垣間見た寺の庭が水打ちされていてご亭主の心遣いや、和装の帯が控えめの銀色であることから「粛々」と言う表現が思いついたのですが、言葉の表現はともかく例えば、職業的なものとか、特殊な場面に遭遇した時などその人以外は感じられない句は、あまり句としてはよろしくないのでしょうか?その辺をどなたかご教授下されば嬉しいのですが・・・
 

菅原宏通   2007/02/16-14:51  No.[553]
 
     三木さん
最初にこの句を読んだ時、鏑木清方風の絵を想起しまあした。非常に品位が高い。私はお茶もしませんが、京都の寺や百花園で同じような場面を垣間見ました。「粛々」の中に帯の色までは想像できませんが、水打ちまでは想像できます。他人に無理に理解させようとせずに自分の主観を大事にされたらいかがでしょう
 

椎名美知子   2007/02/16-16:17  No.[555]
 
    <作者の位置について>
 たまたま三木さんが教材を提供して下さったので、皆さんに教えていただきたいのですが。作品の中の作者の位置です。自分のことか、あるいは外側から見て書いているのか。そこに書いてない隠れた言葉を読み取るのは、読み手側の力ということになるのか。例えば
   茶席待つ(人)帯粛々と冬日向
 この「人」を読み取れれば、作者はこのお茶会の様子を垣間見て作っていると、作者と同じ位置で想像出来る。でもそのまま何気なく読むと、座入りを待っているのはご本人と読み取れる。あくまで私の未熟からか。。
 この辺の表現の仕方、解釈の仕方、いつも疑問に思っていました。いい機会ですので、三木さんの句を教材にさせていただいて(スイマセ〜ン)、教えていただけませんでしょうか。三木さん、お許しくださいね。
俳句のこと、わかりませんので、何でも。

  
 

三木喜美   2007/02/17-09:38  No.[563]
 
    菅原さん過大な評価をありがとうございました。まず理屈抜きで主観、直感を素直に詠むことの練習からしたいと思います。本屋さんで「俳句はかく解しかく味う」高浜虚子著岩波文庫、を見つけ私のような初心者にはとても勉強になり、作る上でも他の人の句を見る上でも大切なことが沢山内示されていて是非未読の方にお勧めしたい本です。俳句の奥の深さをまたまた実感しました。
椎名さんの疑問は私も知りたいので、教材になるのならどうぞよろしくお願いします。
 

根本文子   2007/02/18-02:38  No.[580]
 
    拝見して私に見えた情景は、いよいよお茶席へと案内があり、正客から順次、蹲いで手を清める、その順番をまつ、緊張の席入りの後姿です。状況も作者の感じたこともよく見える句だと思います。ただ私の気分としては、
  席入りの帯粛々と冬日向  でしょうか、席入り(座入り)は希望さんの解説のとうりで、お茶の席であることはよく理解できると思います。三木さんから貴重な問題提起がありましたので、考えていきたいと思いますが、その前に俳句の良し悪しをそんなに急がなくてもよいのではないでしょうか。算数のような答えのあるものとは違いますし、かの翁も「舌頭に千転せよ」と、説いていますよね。
 

三木喜美   2007/02/18-09:03  No.[582]
 
    根本さんありがとうございます。俳句の良し悪しを気にするのは確かにまだ早いですね。いつものことなのですが、自分の句に自信が無く選ぶ時もどれが良くてどれが悪いのか全く解りません。経験を重ねていくうちに少しづつ解るようになるのかもしれません。第一印象を大事にして素直に作りたいと思います。
 

椎名美知子   2007/02/18-13:05  No.[584]
 
     <作者の位置について>と書き込みをしてから、ずっと考えていたのですが、もしかしたら、作者自身のことか、他の人のことかはあまり問題ではないのでは・・・・と思えてきました。有名な人の句でも、本人のことを詠んだ句と長い間思っていた句が、ずっと後で何かの折に実は本人のことではなかった。ということがありますね。だからといってその句半減したかというとそんなことはないですね。
 作品として投げ出されたものは、読み手の経験などに照らし合わせて解釈されるのであって、そこで読み手が共感すれば「いい句」になりますが、読み手が見たことも経験したこともないものであれば、作者の表現したことも理解されず、共感は得ることは出来ない。三木さんの質問されていることもこの辺にもあるのでは・・・と思いました。
 三木さんの最初に書かれていた「前書きが必要なのか」ということ。「座入り」とした場合、茶道をしている人には当たり前の言葉でも、経験のない人にはお茶会のこととぴんと来ないのでは。三木さんはそれで「茶席」にし、質問されたのでは・・・と思いました。
 三木さんの今回の句、「第一印象を大事にして素直に作る」ことが、いいのでしょうね。
  
 

三木喜美   2007/02/19-10:24  No.[597]
 
    椎名さんまたまたありがとうございます。「作品として投げ出されたものは、読み手の経験などに照らし合わせて解釈される・・・」から、良い悪いよりも共感できるかどうかの方が重要な要素であることに気付きました。「前書き」も特殊な場合を除き、理解していただけると信じて自然に詠めば、2通り3通りの解釈をされてもそれはそれで何らかの共感を得ることが出来るのではないかと考えました。私のような未熟者にはまだまだ解らないことばかりででも焦らず少しづつ覚えたいと思います。皆様いろいろコメントありがとうございました。
 

根本文子   2007/02/21-17:27  No.[795]
 
    三木さん、椎名さんから、俳句の解釈その他、皆で考えていきたい、すばらしい問題提起があり、私も自分なりの書き込みをしたいとあせるのですが、希望さんの言われたとうり「自然の真と文芸上の真」の本読みに追われてます。人生をかけて俳句に向き合う人々の思いにふれ
て感動し、ますます俳句がすきになりそうです。
 

根本文子   2007/03/08-17:01  No.[1425]
 
    赤ペン談話室も回復出来てよかったですね。その期間に先生のブログを読んで「悪い句」というのが目に付きました。「観念の表出に終わっている、説明、報告、理屈、風流ぶり、思わせぶり、上手ぶり、奇を衒った句」をあげられています。全く同感です。そしてこれらの事に気をつけて句を考えると17文字は本当に短い。季語や切れ字の支援を受けて、あとは読み手に任せると言う部分を背負っているものだと実感します。説明は不要なので、読む人の想像力や感性によって作者の意図と違ったりすることもあるのですが、俳句とはそうしたものであり、そのことで句はさらに深まり、広がるもののような気がしています。この赤ペンの書き込みを見るだけでもその部分が垣間見えて、楽しく勉強になります。
 



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