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 ■200705_01_akapen
 事務局   2007/05/07-13:41  No.[1654]
    嫌はれて庭に出にけり夜の蝿

無迅   2007/05/09-01:09  No.[1658]
 
    どなたもコメントが無い様なので口火を切りたいと思います。句の世界はわかり易いですが、まず気になるのは庭に出たのは作者か?、夜の蝿か?ですね。しかしこれは「けり」で中七が大きく切れていますので、庭に出たのは作者自身と解釈すべきでしょうか。それからこの句がちょっと紛らわしいのは、蝿の印象と上五、中七が妙に合いすぎるところではないでしょうか・・・。皆さん如何でしょうか。
 

大江月子   2007/05/09-08:43  No.[1659]
 
    無迅さんのおっしゃるとおりに、私も解釈しました。そしておっしゃるとおりの「蝿の印象と上五、中七が妙にあいすぎるところ」を作者の気持ちや句を滑稽とするか、退屈、または悲しみではないけれど、ちょっと何かにすねた気分と想像するかと、いろいろに楽しませていただいておりました。なんども繰り返して唱えていると、なんだかとても素敵なで、好きな一句だなと感じています。
 

市川千年   2007/05/11-12:22  No.[1663]
 
    庭に出たのは蝿と解釈。一句としては弱い感じがします。例えば、
茗荷の子輝くほどに繊切りに
 ワイングラスに冷やの純米
嫌われて庭に出にけり夜の蝿

刺身のつまに茗荷を切って、グラスに冷やの純米酒。少しきどったおもてなしの宴会に、蝿も出てきたが、およびでない、およびでないと嫌われて、庭で一句の捨て台詞。連句というか、前句付け、三句の渡りの中でもっと生きてくる句だと思いました。

嫌われて庭に出にけり夜の蝿
 じっとしてれば聴けるさざ波
後ろから声かけられるうれしさよ

とか。

四月の吟行会の後の飲み会で、谷地先生が、芭蕉会議で三句の渡りをやってみたらおもしろい、といったことを言われていたように思いますが、(サイトの運営が大変になるかもしれませんが)、確かにおもしろく、また楽しくできるのではないでしょうか。ちなみに、前句付けのサイトはいくつかありましたが、三句の渡りをやっているサイトは見つけることができませんでした。
 

市川千年   2007/05/11-12:23  No.[1664]
 
    嫌はれて、でした。失礼しました。
 

無迅   2007/05/12-01:02  No.[1665]
 
    「庭に出にけり」の「けり」ですが、現代では押しも押されぬ切字ですが、長谷川櫂氏の説によると現在使っている「や」、「けり」は芭蕉時代には三割ぐらい切字でなく、ごろあわせで使われていたらしいですね。たしかに切れは係り結びから出ている説もあるので、この句は江戸期では一物仕立てで一気に読み下し、「出たのは」蝿ということも成り立つと思います。「・・・て・・けり」はいかにも係り結びの気配がありますよね。さて現在では明らかに「けり」はかなり強い切れでもありますので、上記の解釈は成り立つでしょうか?  皆さんどう思いますか。
 

中村 美智子   2007/05/12-17:36  No.[1668]
 
    夜の蝿は、喫煙するために庭に出たのでしょうか。?
なんて考えると、この句の雰囲気が損なわれますね。
蝿を持ってきた意外性に拍手。 
 

山房の海紅   2007/05/15-08:30  No.[1671]
 
     この句、「夜の蝿(が)嫌はれて庭に出にけり」という一文の、倒置(法)であり、一物仕立てと判断しています。したがって、この場合の「けり」はいわゆる切字にはあてはまらない。この辺のことを含めて、ブログに書き始めたのですが、中途でそのままになっています。時間をみつけて書き継ぎたいと思います。どうぞ、御批判下さい。
 

無迅   2007/05/16-00:42  No.[1672]
 
    俳句表現史上、現代俳句と切れに少々興味をもって見ています。この例句も興味のある句で、上五、中七が妙に座五に合いすぎるところが気になっていました。現代俳句では特にカルチャー教室などでは「や」「かな」「けり」は最大級の「切れ」として扱われ、言わば記号化しこれが現れれば無条件に分断、付け合いの句とみなす風潮があるように思います。従って結社などの合評(小生はそう多くの結社には出席してませんが)では、付け合いの句を前提に論評されるように思います。たしかに倒置法も技法としてはあるわけですが、どういうわけか小生の参加する句会では、ほとんど倒置法の話は出ません。従って付きすぎで片付けられるケースが多く小生もそう解釈していました。今後は例句のように切れ字が入っても、かなり近い場合はむしろ倒置法を考えて鑑賞すべきですね。いや大変勉強になりました。
 

無迅   2007/05/16-00:57  No.[1673]
 
    しかし、月子さんの鑑賞も実に捨てがたい鑑賞です。
(逆説的になりますが、これも切れ字の威力となりますでしょうか・・・・)
 

大江月子   2007/05/17-12:00  No.[1678]
 
    ありがとうございます。
もう!俳句がわからなくて、わからなくて。余談ですが5月の鳩の会の兼題がまたまた難しい!
 

中村 美智子   2007/05/24-19:49  No.[1690]
 
    夜の蝿は、喫煙する為に庭に出たのでしょうか。擬人化するのに、蝿はとても斬新で、最近は余り見掛けませんね。
しかし、蝿自身進んで、外に出るなんてとても健気です。
月明かりに、羽や体が銀色に光るでしょうか?。
 きっと目を凝らさなければ、見えませんね。
 

山房の海紅   2007/05/28-15:07  No.[1691]
 
     中村さんへ
 この句を、喫煙を嫌われて庭に出て螢族のように煙草を吸っている人と鑑賞することは可能ですし、その鑑賞の部分は、人それぞれで自由ということになります。但し、作者の考えがそうなのだと決めつけることは出来ないでしょう。作者は、表現された言葉以上のことについては、読者である中村さんの自由ですよ、と言うと思います。ではまた。
 

中村 美智子   2007/05/29-08:59  No.[1692]
 
     海紅様
 ご指導ありがとうございます。
  
  夜の蝿蛍袋の寝床あり
 ∴ 庭に白い蛍袋が、丁度咲いています。
 



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