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 ■200808_01
 海紅   2008/08/01-18:21  No.[5793]
    海峡を一人で越ゆる墓参かな

ちちろ   2008/08/03-07:52  No.[5794]
 
    先生は確か、空知川が流れる町か村のご出身だったかと記憶しています。津軽海峡を越えて(今は青函連絡船ではなく、飛行機でしょうが・・)、墓参に一人で帰省されたのでしょう。淋しいなかにも、うさぎ追いし山や小鮒釣し川は昔のまま。ふるさとはいつもやさしくあたたかく迎えてくれます。この句はふるさとを思い出させてくれます。私の田舎(岩手県一関市)は先日の岩手・宮城内陸地震で山や川の形が少し変わってしまったようです。せめて友が皆無事だったことがなによりでした。
 

小出富子   2008/08/07-15:16  No.[5795]
 
    「一人で越ゆる」お墓参り、少ししんみりしますが、ご家族揃って行かれぬ事情もあります、故郷ではご親戚の皆様がお待ちのことと、思います。「家はみな杖に白髪の墓参り」芭蕉 新潮日本古典集成 
私事ですが、今では、実家の墓参に姉妹で行くこともなりません。杖に白髪の頃は良かったと思っています。この句は、「一人で越ゆる」胸の内を、想像させる句だと思います。
 

ちちろ   2008/08/09-06:44  No.[5796]
 
    田舎で行なわれた50回忌、30回忌法要のときに感じたことです。お墓に刻まれた18代の墓碑銘は連綿として続いた、わが千葉家の歴史を物語っているし、久しぶりに会う親戚や、友人、それとともに、墓地から見える目の前の山、川、田圃などはすべて私のDNAの原点なのだと気づかされます。
私は海峡を越えて帰省せるわけではありませんが、先生はもっと遠くから上京されたわけですから、また一段と色々な想いがあることでしょう。
小出さんのおっしゃるように一人で越ゆる胸のうちが、それとなく想像されてきます。
 

余一郎   2008/08/12-08:32  No.[5797]
 
    盆前によい句に行き会えました。
 海峡を限定しなくて世界の何処からなんて想うとオイラ堪んなく泣けてくるぜ。
墓参りは生きている間オイラの宿題のようなもの。たまには行かなければ…‥。
 

ポプラ   2008/08/17-09:16  No.[5798]
 
    「一人で越ゆる」に注目しました。亡きひとを忍び、尽くしきれなかった悔恨、詫び祈りなどが作者の胸にいっぱいしていたことでしょう。共感しました。情の深さを感じます。
 

山房の海紅   2008/08/18-11:25  No.[5799]
 
    愚句を、みなさまの思い出のよすがにしていただき、ありがとうございます。わたくしは七人家族で育ちましたが、ひとりだけ津軽海峡を越えて、東京に出てしまいました。親しい者が一人欠け、二人欠けする現在を過ごしながら、悔やまれることが脳裏を駈けめぐります。いたしかたのないことではあります。

秋さびしおぼえたる句を皆申す  太祇
 

美智子   2008/08/19-13:51  No.[5804]
 
     今から30年前、海峡を一人で越えました。
当時は、夜行列車で終着駅に降り、始発の青函連絡船に乗船しました。デッキで、朝靄に霞む北海道を眺めていると
船員さんが、親切に話し掛けて下さいました。
自殺するのではないかと、思われていたようです。

 海峡に思い出一つ捨てるなり
 

かおる   2008/10/29-01:49  No.[5853]
 
    お久しぶりです。

船の旅、出発の趣は、現在の旅行ではなかなかないもの
だなぁと思っています。
飛行機、新幹線、特急、車、すべてがすごいスピードで
出発していきますが、船はゆっくりと走り出し、見送る人や港、町の景色が少しずつ遠ざかっていくのを見ながらの旅立ちになりますよね。
だからこそ、しんみりと、かみしめるような旅立ちになるように思えます。

海峡を渡ると、そこは故地。今を暮らすところと、ふるさとの間に横たわる海峡。
風景が目に浮かびます。
 



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