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 ■200805_02
 海紅   2008/05/21-13:27  No.[5349]
    新緑の樹下に佇ちては襤褸のごと

研究室の海紅   2008/05/21-15:42  No.[5350]
 
     いつも御批評をお加えいただき感謝申し上げます。「襤褸」は「ぼろ」と読みます。使い古して役に立たないボロキレのことです。よろしくお願い致します。
 

谷地元瑛子   2008/05/21-20:49  No.[5351]
 
    今日早起きしました.ラジオで新緑の様子を
話していました。萌黄色やら浅葱色、灰緑色やら、
黄緑色、深緑色などなど色見本帳を見なければ
網羅出来ないと思われるさまざまのグラデーションの緑の色名を挙げていて圧巻でした。
聖五月をかがやかす新緑のなかで誰がそれ以上に
着飾れましょうか。



 

中村 美智子   2008/05/30-09:26  No.[5365]
 
     新緑の中のぼろは、何色なのでしょうか。?
緑と対照的な色ですか。それとも同化する色ですか。

  襤褸の内 心の輝き 秘するなり  美智子
 
 きっと、目にする人達が心に浮かべる色なのでしょう。
 

むらさき   2012/06/11-16:16  No.[7891]
 
    着心地の悪さと居心地の悪さは、どこか共通している。

気持ちが沈んでいる時は、晴れやかな衣服(色、柄、デザイン)は着たくない。私の場合は、 とりわけ 色に反応するのだが。なにか、自分の内面とちぐはぐに感じられ着心地が悪いのだ。ちぐはぐな感じ=違和感が、「ずれ」として意識されるからであろう。

居心地の悪さも、この「ずれ」と関連している。状景(風景)・情景(光景)、状況・情況と、自分の気持ちが、ちぐはぐに感じられる時は居心地が悪いのである。

天気がよく 気分がよければ、新緑に 目をうばわれ・嗅覚をうばわれ、衣服の「ぼろ」など気にならない。「ぼろ」さえも輝いてみえる。「ぼろ」が意識されるのは、いま 目の前に広がっている光景と自分の内面との間に、ギャップ・違和感・不協和音 を感じているからではないのか?

浅黄色を帯びた新緑の樹木は、清々しい「気」に満ち みずみずしく ひときわ 輝いている。
新樹のもとにたたずむ作者の気持ちに翳りがあり、陽光や新緑についてゆけない。
その違和感が「ずれ」を意識させ、気おくれとなり、衣服の「ぼろ」を意識させたのではないか?あるいは、”翳っている自分”=「襤褸」ー として意識され、このような表現で詠まれたのではなかろうか?

また、穿った見方かもしれないが、視点を変えれば こんな風にも見えてくる。ご自分の存在を、敢えて「襤褸」と表現することによって、「新緑」をいっそう輝かしいものにしている − というような・・。芭蕉翁なら、そのようなことをなさるかも知れない。

私は、中句から下句への流れ「・・樹下に佇ちては襤褸のごと」が、好きだ。”立ちて”ではなく、「佇ちて」と表現したところが 奥床しい。そうなると、もしかしたら 敢えて 「襤褸」ー と表現されたのかなと、私自身がゆらいでくる。不安になる。

本当はどちらなのだろうか?

これは、あくまでも私の勝手な推測、深読みかも知れません。  先生、いずれにしても まちがっていたら「ご容赦ください!」。


  白壁にもびーるえがく新樹かな     むらさき
  (しらかべ) 
 



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